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NPOと学校が連携し子どもたちに自然体験・交流活動を提供した方法

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福島市立笹谷小学校移動教室記録写真の様子

東日本大震災の発災から3年半が過ぎ、被災者が仮設住宅や借り上げ住宅に移る中、放射能への懸念から外で遊べない子ども達が増えていきた。無用な制限なく自然の中で遊ぶ保養プログラムの必要性、新鮮な空気・汚染されていない食品を食べることによる内部被ばくの回避が求められる中、福島県の「ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業」を利用し、学校単位での移動教室を実現した取り組みを紹介する。

(2014/9/25シーズ取材)

ビフォーアフター

ビフォー

子ども達は、どこででも自由に外遊びができるわけではない状況に置かれている。
自然の豊かな場所ほど放射能による汚染が顕著で、震災前と同様な自然体験ができない。
子ども達の成長に必要な運動量を確保できず、体力や運動能力の低下も心配される。
こうした不自由が子ども達にもたらす心理的な影響が心配である。

アフター

日頃十分にできない運動が外でできる。
放射能汚染の心配なく、五感を使って自然体験でき、自然や環境への理解や関心が高まる。
訪れる地域との交流が生まれ、互いの地域文化・伝統への理解が深まる。
様々な方と温かな交流をすることで安心し、精神的・社会的な成長が期待される。

手順

1. 既存の法人に緊急時の対応をする部門を設立

NPO法人シャローム災害支援センターは、福島県福島市で子ども達のための週末保養プログラム、移動教室、子どもたちの身近な生活範囲の放射線量測定、アドボカシー活動に取り組む。
「(原発の)補償が出たとしても一人では何もできない。元々の地域福祉を改善しないと、元のように安心して地域では暮らせず、それは障がい者が追い詰められていくのと同じ構造である。緊急時、障がい者、また、高齢者等の属性にあわせて行うことが福祉である。」(NPO法人シャローム副代表)として、NPO法人シャロームという障がい者福祉に取り組むNPO法人が、2011年8月、災害支援のためにセンター立ち上げた。
NPO法人シャローム災害支援センターのスタッフ吉野氏は、当時をこう振り返る。「元は会社員でした。震災の翌日から炊き出しやら支援物資支援に参加しました。原発事故の影響で人員整理され、会社から解雇になりました。2011年8月までは失業保険をもらいながら支援活動を手伝い、このセンターが立ち上がり、スタッフになりました。地方ならではの穏やかさがあり、頼んでないのに手伝ってくれる。分け隔てなく誰をも尊重してくれる。地に足がついたシャロームの活動に惹かれました。」(吉野裕之)

2. 福島県「ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業」の実現に向けて

「ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業」は、東日本大震災の経験を踏まえ、子どもたちが再発見した郷土の良さを伝えあい発信していくような交流活動や、充実した自然体験活動を実施する団体などに補助をするもの。宿泊費や交通費についての補助支援が受けられる(県外での実施は国庫補助)。
NPOと行政・教育委員会・学校が連携して「移動教室」を実現した例が、ある説明会で紹介された。

子ども達の保養プログラム、移動教室の実現に向けては、ある説明会での講演がきっかけとなった。
それは、平成26年(2014年)4月8日、平成26年ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業活動説明会において、伊達市教育委員会学校教育課長が「NPOと連携し実施した学校における交流活動~伊達市スタディキャンプサポート事業(移動教室)」と題して行った講演である。
そこでは、平成20年から実施した通学合宿が東日本大震災・原発事故の影響により合宿所が使えなくなった中、NPO法人地域交流センターが事務局となって、見附市(新潟県)と橋渡し。中越地震被害経験のある見附市側は、夏でも、長袖、長ズボン、マスク姿の伊達市の子ども達の様子を知り、「被災地に何か支援したい」「思う存分運動や勉強する場を」という思いで、見附市と市教育委員会が検討を開始。復興教育の一環として、空き教室を利用し、伊達市の学校を受け入れて4日間の移動教室をこの3年間にすべての小学校(21校)で実現したという実例である。伊達市ではこの3年間ですべての小学校(21校)の移動教室を実現した。
「NPOが動いてこそ連携が生まれ、連携すると実現するという説得力のあるお話しでした。」(吉野裕之)

写真:ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業(福島県教育委員会)

3. 「移動教室」の実現

平成25年度以降、NPO法人シャロームが仲介役となって、見附市以外に新たに、岩手県遠野市、山形県河北町、宮城県登米市、会津坂下町や三島町で実施できることになった。この移動教室には国内外からの支援金も使われている。
伊達市立小国小学校の5・6年生は山形県河北町に、福島市立笹谷小学校の特別支援学級(1~6年生)は宮城県登米市に移動教室を実施。
受入校の体育館に集まって、まずは歓迎会。合同授業をやって、伝統芸能を互いに披露。虫を捕まえたり、川遊びやカヌー体験もある。普段はできない野外でののびのびとした遊びができる。
自分で拾った石に絵を描いて作品に仕上げたり、竹を組んで流しそうめんをしてみたり、ピザを手作りして焼いて食べたり。そして、夕飯は、地域のおばあちゃんが手作りしてくれる伝統の料理を味わわせてもらえる。子どもが少ないからお世話できることを楽しんでもらえる。また来てねと言ってもらえる。
河北町での宿泊は集会場を利用させてもらう。道路を挟んで目の前が小学校という好立地だ。集会場には、調理室も和室も体育館も運動場もそろっている。町自慢の温泉施設まで10分で行かれる。こじんまりした範囲に必要なもの全てがある贅沢さだ。なにより人情が厚い。そして、最後は涙のお別れ。
「心温まる受入れ体制、子ども達同士の笑顔、分かれるときの涙、充実感にあふれた教職員などの姿を見ると、労力をはるかに超える喜びを味わえる。そして、何より、除染を待っている間にも、二度と取り戻すことが出来ないその時々の貴重な子ども時代はあっという間に過ぎ去ってしまう。」(吉野裕之)

写真:福島市立笹谷小学校移動教室記録写真の様子

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4. 振り返り

「26年の夏休み企画として伊達市教育委員会に相談し、JIM-NET(ジムネット)、マミーズタミープロジェクト、アカデミーキャンプ、慶応大学の先生や学生たち、子どもたちを放射能から守る全国ネットワークが集まってプログラムを作りました。」(吉野裕之) 教育委員会が行う移動教室と同様に重要な、社会教育団体が主催する「自然体験・交流事業」の成功である。具体的な提案、関係機関との綿密な連絡調整と役割分担がこのプログラム発展のカギであると改めて事業を整理する。
制度の内容については、文部科学省の担当官や福島県教育委員会への働きかけや院内集会での発信を続けてきた。
「伊達市移動教室は3泊4日で行えたが、民間団体主催で行う場合は6泊7日以上と規程されており、ミニマムが長すぎてハードルが高いのも事実。伊達市移動教室のような事業が補助金対象となることはありがたく、参加者の公平性確保のためにも今後活用する学校・教育委員会が広がっていくとよい。受け入れ側からも大変好評を得ており、原子力災害に備えた防災意識も高められます。」(吉野裕之)
福島にはいまだに放射能汚染が残存しており、注意を要する環境である。そんな中、子どもの成長のために必要な日常的な運動量と質の確保、自然体験や交流のための保養の必要性など、当事者でなければ分からないこと、読み解けないことは多い。今後も福島の現状を善処するために行動していく。

コツ

・現状を見て、その先を想定するところから全てが始まります。想像し得ることは実現可能なのです。
・実現に向けての準備には労力を要しますが、この事業はその労力をはるかに超える喜びを味わえます。
 受け入れて頂く側、受け入れて下さる側、双方に学びと共感が得られる貴重な体験になるからです。
・リサーチに基づく的確な提案、関係機関との綿密な連絡調整と役割分担が何よりも大切です。

2014 0925                  10

NPO法人シャローム災害支援センター 吉野裕之

青山学院大学フランス文学科卒業。東京で流通大手の店舗営業企画部に勤務し、その後退職。世界各国を巡る旅で環境や平和に関する問題に気付く。1997年福島に戻り、行政のイベントを企画運営する企業に就職。同時に環境問題や子どもの権利、芸術に関する市民活動に参加する。この頃よりチェルノブイリの子どもたちへの心配を深める。東日本大震災以降は主にアメリカと日本国内の支援団体からのご寄付を元に、無用な被曝を避け、子どもたちの健やかな育ちと発達の確保を目指した活動を展開している。関係省庁や自治体との協議を通じ、市民活動をベースとした”実践に基づく提言”を心掛けている。妻と娘は京都市に避難中。

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本記事は、2015年01月13日公開時点の情報です。記事内容の実施は、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。
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